『不安を溶かす方法』希望ヶ丘の個別指導塾 AO入試プロ

『不安とはなにか』希望ヶ丘の個別指導塾 AO入試プロ

 

 

不安を抱かない人間はいません。

 

不安とは、安定した生活リズムから

 

外れることを指しています。

 

変化はひとを不安にします。

 

一方でチャンスにもなります。

 

4月から新しい生活がはじまりますね。

 

「友達できるかな?」と心配になる時期

 

でもあります。大丈夫です。だいたいおなじ

 

ことをみんな感じているので。

 

焦らないことが重要です。

 

そこで知っておいて得する技術もある。

 

新生活、新学年、これからむかえる大きな

 

区切り目にむけて、いまのじぶんに不安を

 

かんじる。なんらかの問題点を抱えている。

 

そんな場合に一読してもらえると何かの役に

 

立つかもしれません。

 

今回は「不安を溶かす」ことがテーマ。

 

これもひとつの技術だと考えています。

 

10分以内に読めるので、

 

スキマ時間にサラッとよんで、

 

気持に余裕がもてるようになるといいです。

 

 

 

 

セルフイメージ

 

 

2005年に行われたあるトーナメントで、

 

タイガー・ウッズのライバルがパットを外せば、

 

ウッズの優勝が決まるシーンがありました。

 

普通ならば、「入るな!」と願うシーンです。

 

しかし、ウッズは相手のパットを「入れ!」

 

と願いました。

 

 

 

結果は、ライバルがパットをミスしてしまい、

 

ウッズの優勝となりました。

 

その時のウッズの表情を見ると、

 

本気でがっかりしているのがわかります。

 

ライバルがパットを入れて、プレーオフを

 

のぞんでいたわけですね。

 

 

 

相手に失敗してほしいと願うイメージでは

 

なくて、じぶんがフレーオフで勝利する

 

セルフイメージの方が強かったと、

 

言われています。

 

 

 

普通なら、プレーオフで負ける不安が大きく

 

なるので、じぶんが勝つこと以上に、相手に

 

負けてほしい、と願うことは自然です。

 

 

 

ですが、わたしなりの解釈はこうです。

 

ウッズは勝ちたいというよりも、

 

単純にプレーオフがしたかっただけでは

 

ないかと思うのです。勝っても負けても、

 

もう一試合したい。そんなことをスポーツで

 

感じたことはありませんか。

 

 

 

点と線

 

 

 

「勝つ⇔負ける」という二元論では

 

片付かないことがあります。

 

 

 

勝敗はひとつのゴール。

 

世の中ではそう考えられています。

 

 

 

ですが、そのプロセスを楽しむ自分を

 

セルフイメージすることもあってもいい。

 

 

 

いまの世の中はいろんな「地点」が問題に

 

されます。これを人生の「点」だとイメージ

 

してほしいです。

 

 

 

大学に入ること。企業に入ること。

 

結婚すること。それらはすべての接点となる

 

事柄です。

 

 

 

あたらしいステージに立つとき、そこは

 

どんな「点」なのでしょうか。いや、

 

もしかしたら「点」など無いのかも

 

しれません。

 

 

 

「点」と「点」を線で結んだ瞬間、

 

「点」の存在はもはや重要ではないと

 

おもうのです。線ができれば「点」の

 

役割はおわり。もはや「点」を問題に

 

する必要がありません。

 

 

 

プロセスはたのしい

 

 

 

ウッズの話にもどります。

 

ウッズは勝敗という「点」に関心がなく、

 

線に関心があった。もちろん、その線

 

の先にあるは、プレーオフのことです。

 

 

 

つまり結論はこういうことです。

 

ひとは「点」を意識しすぎると不安になる。

 

 

 

これから新しい環境に入っていくとき、

 

どんな不安を感じますか。たとえば、

 

「うまく友達がつくれるか」

 

「たのしい学生生活がすごせるか」です。

 

 

 

ですが、事柄を問題視するかぎり、

 

それらはすべて「問題点」になります。

 

 

 

「うまく友達がつくれるか」という「点」

 

「たのしい学生生活がすごせるか」という

 

「点」です。

 

 

 

問題にある焦点をあてるかぎり、

 

不安となる「点」は尽きません。

 

 

 

だから、線の先を見ること。

 

どんな線の先があるのか、

 

その未知を楽しむぐらいがちょうどいい。

 

傷つくこと、くだらないこと、

 

そんな嫌なこともあるかもしれません。

 

ですが、それらはすべて「点」。

 

 

 

その先には線がしっかりと伸びる。

 

だから心配はいらないのです。

 

けっしてゴールではありません。

 

むしろケチな心配事をしているには、

 

人生はあまりに短すぎます。

 

 

 

勝敗の上にあるもの

 

 

 

ふたたびウッズの話にもどります。

 

勝敗が問題になるのがゲームの本質ですが、

 

その勝敗がどっちに転ぶかわからないから、

 

プロセスが楽しめるとも言えます。

 

 

 

この視点はとても高い場所にあります。

 

勝敗を上から見下ろす場所だからです。

 

成功も失敗もそれぞれ楽しくなる場所。

 

 

 

失敗してもたのしいか?

 

問題なのは、失敗したあとの解釈ですよね。

 

ようするにひとつのストーリーだと考え

 

たらいい。

 

 

 

わたしはよく映画を観ます。

 

登場人物が成功しかしないストーリーに

 

共感はできません。その逆も同様です。

 

 

 

もちろんそれは観客だからこそ

 

もっている視点かもしれません。

 

わたしは観る存在であって、

 

観られる存在ではないのです。

 

 

 

能の巨星である世阿弥は『風姿花伝』の

 

なかで、演者はじぶんを外から見られる

 

客観的な視点を獲得するようにと説きます。

 

 

 

つまり、舞台の上に立つプレーヤー自身が、

 

外からどのように観られるのかを意識する

 

必要性があると言うことです。

 

第三の視点を確保することを意味

 

します。あたらしい視野の獲得です。

 

 

 

勝敗や成否の二元論は、クローズドな世界

 

になる。だからその先に目を向けたい。

 

勝つこともあれば、負けることもある。

 

成功もあれば、失敗もある。

 

そういう心に「遊び」があるプレーヤーは、

 

なぜか強い。勝負にもなぜか負けません。

 

 

 

逆に「絶対に勝てよ!」と第三者から

 

言われると、なぜか勝負に弱くなる。

 

二元論からの脱出が困難になり、さらに

 

負けることが怖くなります。勝敗の行方に

 

不安が生まれるからです。

 

 

 

『離見の見』希望ヶ丘の個別指導塾 AO入試プロ

 

 

 

シンプルに考えましょう。

 

先ほど世阿弥が説いた第三の視点は、

 

生きていても役に立ちます。

 

 

 

あなたの友達に「大人だな」って感じる

 

ひとはいませんか。

 

いつも全体が見えているようなひとです。

 

 

 

彼氏や彼女とケンカすることもありますね。

 

そのケンカの原因はいろいろありますが、

 

そのケンカを客観的にながめる

 

ことができれば、争いは静かに

 

おさまります。

 

 

 

離れてその状況を見ることが、

 

「離見の見」ということです。

 

二元論にとらわれない。

 

すこし距離を取って、じぶんと相手を

 

上からながめてみる。

 

 

 

これは他者からの視線を気にすること

 

ではありません。

 

じぶんと他者を、もうひとつの「じぶん」

 

という第三の視点からながめることです。

 

 

 

フォーカス

 

 

 

アドラーという心理学者が流行っています。

 

フロイト・ユングにならぶ心理学者と

 

言われています。

 

 

 

ざっくり言うと、こんなことを言っている

 

心理学者でした。アドラーはウィーンで

 

内科医として診療所を開きます。

 

街の中心地だったせいか、いろんな患者が

 

診療に来たそうですが、そのなかで注目

 

したのはサーカスの出演者だったそうです。

 

 

 

かれらは身体をはげしく使う職業であるに

 

もかかわらず、幼少期には非常に身体が

 

弱かったという共通の特徴をもっていた。

 

アドラー自身の幼少期も病気で苦しんだ

 

経験がありました。そこで、

 

人間のエネルギーは「劣等感」が根源に

 

なっていることをひらめいたそうです。

 

 

 

原因ではなく目的

 

 

 

幼少期にサーカス団が味わった、

 

「身体が弱い」という劣等感がエネルギー

 

として燃焼し、現在の身体を酷使するよう

 

な職業に就けたとしても、これは容易な

 

ことではないはずです。

 

 

 

じぶんのエネルギーの根源はなんなのか?

 

要するにそれはどの部分にフォーカスする

 

かによって決まります。

 

 

 

アドラーは人間が劣等感とかんじるのは、

 

その先にあるいちばん触れられたくない

 

部分を隠すためだと説きます。

 

 

 

たとえば、顔が不細工だからモテない。

 

というのは、顔が不細工だからモテない、

 

というふうに認識することが、

 

本人にとって楽にかんじるからだとします。

 

 

 

顔が不細工だからだとする原因以外を

 

認めたくない、という心理がはたらき、

 

顔が不細工を「劣等感」として意識する

 

ようになると。

 

 

 

ありのままにじぶんを受け入れることが

 

いかに難しいかがわかります。

 

じぶんがもつ劣等感より根深いところに

 

もっとダークな原因があるかもしれない

 

からです。

 

 

 

エネルギー源

 

 

 

つまり、劣等感はじぶんがある原因を

 

規定することがはじまるので、少なくとも

 

その劣等感自体は優越感にも変化する

 

可能性があります。

 

 

 

じぶんが不幸である、と吹いて回るひとは、

 

じぶんの劣等感から生じる部分を目立つ

 

ように演出します。

 

 

 

じぶんが世界でいちばん不幸である、

 

という優越感を抱いているからです。

 

「あなたよりも不幸です」と考えることは、

 

あなたにたいし、「不幸である」という点に

 

おいて優越感をもっている証拠です。

 

 

 

逆にもともと優越感を感じているひとも

 

同じことが言えます。

 

何かにつけて学歴が高いことに優越感を

 

感じるひとは、運動が極端に苦手だとか、

 

まったくモテない、という劣等感が背後に

 

ある可能性があります。

 

 

 

劣等感は優越感の「落とし子」であり、

 

優越感は劣等感の「落とし子」になる

 

のかもしれませんね。

 

 

 

競争よりも

 

 

 

生きている以上は、じぶんと他人を

 

比較することは避けられません。

 

ですが、どこで競争するのかにかんしては、

 

あなたの手にカードが握られています。

 

 

 

競争する場所をまちがえるとみじめな思い

 

をすることになります。ですが、あえて

 

劣等感をかんじる場所で人生を賭けるひと

 

がいます。

 

 

 

先ほどのサーカス団で働くひとは、

 

幼少期に身体が弱かった共通点をもって

 

いました。つまり、身体を動かすことは、

 

競争する場所としては不適だったはずです。

 

 

 

なぜこんな選択をしたのでしょうか?

 

それは、自分が変化をおこせる部分と

 

どうにもならない部分とを分離したこと。

 

 

 

問題点を分けることに成功すると、

 

負けない競争ができます。

 

 

 

劣等感を感じることは、

 

本人からすると問題点です。

 

けれど、一度この「点」を切り離すこと

 

ができると、むしろ変化をおこせる線の

 

方に注目がいくようになる。

 

 

 

どうにもならない「点」に頭をつかわない。

 

つねにその先に全神経を集める。

 

つまり、原因ではなくて目的に頭をつかい

 

ましょう。

 

原因=「点」、目的=「線」ですね。

 

 

 

劣等感は切り離す

 

 

 

そうおもうと、劣等感という「点」は

 

むしろ必要かもしれません。言い換えると、

 

人間にとって必要な悪、という感じです。

 

 

 

悪がないと正義がわからない。

 

暗闇がないと光がわからない、

 

というように、劣等感もまずは認識できる

 

「最悪の」こととして受け入れる。

 

 

 

それから、その問題の先にあるほうに目が

 

向くようになる。劣等感を切り離すもの

 

と納得できたとき、はじめて先に進む勇気

 

が湧くものです。

 

 

 

なので、あなたにとって劣等感は貴重な

 

通過点です。何を捨てるかが決まらないと、

 

何を拾うかが決まらないのと同様に、

 

劣等感はあなたのなかで操作する対象で

 

あり、むしろ踏み台にできるものです。

 

 

 

その方法論

 

 

 

劣等感にかんして話してきました。

 

ですが、このようにわたしが何かを話す

 

場所にかんしては、じゅうぶん注意が必要

 

です。

 

 

 

前にはなした世阿弥の離見の見にかんして

 

です。点と線にかんすることも同様ですが、

 

どうしても自分と離れた目線でじぶんを

 

見る必要があります。

 

 

 

ただぼんやりと「見る」のではなく、

 

「観る」必要があります。

 

じぶんで自分を観察することです。

 

 

 

こうして、劣等感にたいする考えや、

 

点と線にかんする話をすること自体が、

 

じぶんを観察することがはじめないと

 

うまくいきません。

 

 

 

いまいるこの「じぶん」と、

 

その上の方にいる「じぶん」とのあいだに

 

適度なスペースを意識する。

 

 

 

いったいどんな問題に直面しても、

 

じぶんが困っている状況を上から観てみる。

 

そして、変化がおこせる問題と、

 

どうにもならない問題に分離する。

 

 

 

劣等感は便利なものです。

 

切り離す問題点が明確だから。けれど、

 

そこにはささやかな勇気が必要になる。

 

変化がおこせない劣等感にフォーカス

 

すればあなた自身が消耗するだけです。

 

これは問題をこじらせるパターンです。

 

 

 

問題を切り離す方法のコツは、

 

じぶんで自分を観ること。それも客観的に。

 

その分離できる区切りをみつけたら、

 

それを切り離す勇気をはたらかせること。

 

 

 

バックミラーは見ない。フロントガラスの

 

前の景色だけに目を見張る。

 

人生をひとつの演劇だとおもうこと。

 

それを喜劇とみるか、悲劇とみるのかは、

 

演者であるあなたが、演者とは異なる地点

 

から眺めることからはじめることです。

 

 

 

人は過去に縛られているわけではない。

 

あなたの描く未来があなたを規定しているのだ。

 

過去の原因は「解説」になっても

 

「解決」にはならないだろう。

 

アルフレッド・アドラー

 

 

 

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